りんご 雑感

紅玉りんごが届きました! ばんざい! りんご大好きです。 でも、先週届いたりんご(サンつがる)は、ぼけてて甘味も酸味も全然なくて、正直おいしくなかったです。9月30日に青果物促進キャンペーンに行った時(かずたん、報告を書いてくださってありがとう!)、生産者の方が、利用者からの反応がなくて残念だとおっしゃっていたので、これからどんどん出そうと思っていた矢先だったので、ちょっとガッカリ・・・ 紙に生産者のシールを貼って、少し書きかけたのですが、やっぱり止めました。
電報の仕事をしていたとき、結婚や誕生日のお祝い電報を打つ時は、これを受け取った人が喜ぶのを想像して嬉しくなったものです。でも、サラ金の督促なんかを打つときは、自分が打ったものを受け取った人が、どんなに嫌な気分になるかと思うと・・・本当に気が重かった。
今週の紅玉はすっごくおいしい! パリッとしていて、ああ、昔のりんごの味だ! と感激です。安心だから、芯だけ取って、皮ごと食べます。さっそく山形県JA東根さんに一筆書きましょう。
ふじりんごも大好きです。毎年12月に、長野市の伯母(父の姉さん)からサンフジが届きます。このりんごのおいしさは絶品です。申し訳ないけど、生活クラブのりんごもかないません。同じサンフジでも、市販のものは全然味が違うんです。
私の両親は、長野の生まれです。父は長野市善光寺の近く。母は山奥で、野沢温泉の近くです。
父の母(私の祖母)は助産婦さんでした。4人姉妹の3番目の母は、女学校を卒業して、長野市役所に勤めていて、結婚して長野市に住んでいた すぐ上の姉の家に同居していたそうです。そして、赤ちゃんが生まれる時に呼んだ助産婦さんが祖母だったのです。
赤ちゃんは、かわいそうに、生まれて数日で亡くなりました。母が祖母に教えられて面倒を見たんだそうです。生まれたての赤ちゃんなのに、色が白くて、ほんとにきれいな赤ちゃんだった、と母は何度も話してくれました。
助産婦の祖母の印象は「怖い人」だったようです。お産の時、お湯を沸かすように言われたので、やかんで沸かしたら、大鍋で沸かすんだと怒鳴られたとか。
その時、父は学徒出陣で戦争に行っていました。敗戦後、父が帰って来た時、祖母はお嫁さんを探さなくてはと思って、ふと思いついたのが、母だったのだそうです。
縁とは不思議ですね。もし、普通に丈夫な赤ちゃんが生まれていたら、自分のことは記憶に残らなかったと思う、と母は言います。数日間でも必死で赤ちゃんの看病をした母の姿が祖母の心に留まったのでしょう。
父は「お母さんの決めた人なら」と、即決したそうで、母も、1度会っただけで決めたようです。というわけでとんとん拍子に話がまとまり、結婚しました。父と祖母が、初めて母の実家に行った時は大変だったとか。
それは冬のことで、母の実家は、冬は二階の窓から出入りをする豪雪地帯ですから、道は雪を踏み固めた細い一筋だけで、ちょっと踏み外すと、ずぶずぶと雪の中に埋まってしまうのです。案内する母の家族は慣れていても、慣れない父と祖母は、一足 歩くごとに踏み外して、「助けて〜」ということになり、祖母はその時つくづく後悔したのだそうです。「長野市に若い娘が居ないわけじゃなし、なんで よりによって、こんな山奥の娘をもらってしまったんだろう」って。
でも、そのおかげで私や妹たちが生まれたのです・・・ 私が今ここにいるのは、60年以上前に、伯母さんの赤ちゃんが生まれて間もなく死んでしまったから・・・? 
そんなことを考えていると、人の出会いって本当に不思議で、素晴らしいものだと思うのです。ほんのちょっと何かが違っても、あなたと私は出会えなかったんですよね。大切にしたい!出会い!! 6月に上演した劇の脚本に、私が入れた台詞・・・「人生は出会いです」