夏の思い出

妹たちが遊びに来ました。中の妹は狭山、末の妹は新宿なので、3人ともお互い1時間以内で行ける範囲に住んでいます。狭山の妹は生活クラブに入っていましたが、班がなくなってからは入っていません。新宿の妹は、生活クラブの戸配に入りたくて問い合わせたら、彼女の地域は午前中の配達だと言われて諦めたそうです。夫婦とも帰りが夜になるので、いくら保冷箱があっても無理だろうって。残念です。
今年の夏、中の妹は秋田へ行きませんでしたので、お土産などを渡すために集まりました。目玉はスイカ、母の郷里のスイカです。今年の夏も、母の実家と母の妹の家から、大玉のスイカが2玉ずつ送られてきました。両親は二人暮らしなので、私たちが帰ることを知っていて送ってくれるのです。ありがたいことです。毎年夏には実家で思いっきりスイカを食べます。この味を知ってしまったら、スイカを他で買って食べることはほとんどありません。それで両親が、中の妹にも温井のスイカを食べさせたいと、私に1玉 持たせたのです。こんな時は車は本当に便利です。スイカはそのまま大事に置いておいて、妹が来る朝、半分に切って冷蔵庫に押し込みました。大きいから大変! 程よく冷えたスイカを食べながら、妹たちと色んなおしゃべりをしました。
物心つく前から、毎年夏休みに両親の郷里の長野へ行きました。その日が近づくと指折り数えて待って、ついにその日の朝が来ると嬉しくて信じられない程でした。父の実家は長野市で、父の姉夫婦と従姉が2人いました。知的なお姉さんで、手製の着せ替え人形でよく遊びました。身長20cm程の紙の人形ですが、綺麗な包み紙や広告で作られた素敵なドレスをたくさん持っていて、それぞれに名前が付いていて、家族ごとにキチンと紙の箱に分けられていました。そんな箱が20こもあったでしょうか。本当に良く出来ていて、帰る時に、「はい、○○ちゃんには△△さんの家族を上げるね」と箱ごともらって感激したりしました。後に2人とも女子美大へ進んだので、才能があったのですね。
父の実家に3日ほど泊まると、もっと山奥の母の実家へ行きます。こちらには毎夏10日以上お世話になりました。母の両親、母の姉夫婦と子どもが4人の8人家族で、家族も多いのですが、そこへ、近くに住む母のすぐ上の姉夫婦と子ども2人、母の妹夫婦と子ども2人(母は四姉妹)、父と母と私たち姉妹が3人が行って、20人以上が一緒にいました。台所を預かる身になって、20人以上の食事を作るのはどんなにか大変だったかと思いますが、みんなとても親切で、いつもニコニコしていて、私たちにそれは良くしてくれました。時には父方の従姉2人も加わることがあって、十数人で昼は山や川で遊び、夜は毎晩花火です。母屋と別に、隣に新宅と呼んでいた家があって、私たちお客はそこの二階に寝るのですが、二階へ上がる階段が二つあったり、書院になっていたりと不思議な造りで、よくそこでかくれんぼをしました。父は母の実家に1日2日いると、勤めに出るため1人で秋田に帰り、10日位後にまた迎えに来て一緒に帰ってきました。長野から帰ると楽しい夏も終わるのです。そんな毎年の必須イベントも、私が中学3年の夏からは毎年行けなくなりました。高校受験、部活・・・今思えば、そんなもの捨て置いても、毎年行っていれば良かったと思います。