平和を考える講座

Y公民館で『平和を考える講座』があり、息子と聞きに行きました。 講師は40年間『鉄腕アトム』の声をやっていらした清水マリ先生。 2003年のアトムの誕生日から、別の声優さんがアトムになりましたが、私たちは、アトムはどうしたってマリ先生でなくちゃ。
マリ先生の話は本当に引きつけられます。 公民館の朗読教室で、私はもう17年もの間 教えていただいているので、知っている話もずいぶんありましたが、それでも、何度聞いても面白いのはさすがです。 朗読教室に行き始めた時、息子は3歳で、幼稚園に入るまでの1年間は一緒に公民館へ行って、私の隣でお絵かきしたりパズルをしたりしていました。 だから先生は息子に会うたびに「ほんとに大きくなって」と懐かしがってくださいます。
先生は生まれも育ちも浦和、今 住んでいらっしゃる所にずうっと暮らしているので、商店街などでは未だに「マリちゃん」。 40歳の娘さんが商店街に買い物に行くと「お〜い、マリちゃんとこの子どもが来たよ」と言われるそうです。 この辺は昔は海で、おだやかな浦ということで「浦和」という地名がついたとか。 本太や前地の地名の由来、昔から伝わる話なども話してくださいました。
浦和は県庁に焼夷弾が落ちて刑務所などが焼けて、囚人が家のそばに来るのではと怖かった覚えはあるけれど、幸い空襲で逃げ回ったり、死体を越えて逃げたという悲惨な思いはしないですんだそうです。 でも食べ物がなくて、里芋の蔓とかハコベも食べたとか。 お父さんは慰問で戦地へ行っていて、お母さんは心臓が弱くて寝ていることが多かったので、買出しにも行けない。 朝も夜も、野菜と小麦粉の団子が少しだけ浮いているスイトンで、お弁当も持って行けなかったから、小学校の昼休みは水道の水を飲んで外で遊んでいた。 お弁当のない子が大勢いたので、その子たちと一緒に遊んでいて、辛いとは思わなかった。 TV小説の『おしん』で「大根めし」を食べているのを見て、大根めしを食べられたらご馳走だっと思ったそうです。
ある日、お母さんが「お前がお嫁に行くときに着せたかったけれど、お米にかえることにしたから、今よく見ておきなさい」と、子どもの目には素晴らしく綺麗な花嫁衣裳を出して見せてくれました。 マリさんは、その着物が名残惜しくてお母さんについてお百姓さんの所へ行きました。 その時はお父さんも帰ってきていて、一緒に行ったそうです。 ところが、着物をお米にかえたい人はいっぱいいて、お百姓さんは中々かえてくれません。 お母さんが一生懸命交渉したけれど、たったお米一升にしかならなかったそうです。 がっかりして帰ろうとすると、お父さんが「おい、ゆっくり歩け、ゆっくり歩け」と言います。 家へ帰ってみたら、どてらを着たお父さんの懐と袂から、人参やお芋がごろごろ出てきました。 お母さんが交渉している間に、土間に転がっているのを持ってきたのです。 今思うと、それは盗んできたのですが、その時は「お父さんはやっぱり偉い!」と感心したそうです。 お父さんは、あの着物は米一升以上の価値があると言っていました。 戦争が終わって給食が始まり、脱脂粉乳を飲んだ時、こんな美味しいものがあったのかと思ったそうです。
もうすぐ戦後60年です。 この60年の平和は、憲法に守られていたからなのに、その憲法九条の戦争放棄の条文が変えられようとしていることに危惧の念を抱いているとのお話に、私も以前からそう思っていて、全く同感でした。 戦後50年のときに寄せられた実話「むっちゃん」を読んでくださり、私も涙が流れて止まりませんでした。 戦争は決してしてはいけない!!
マリ先生は26年前から小沢重雄さんと『浦和むかしむかしの会』という語りの公演をしています。 埼玉会館小ホールで年2回、今年は埼玉会館改修工事のため5月がお休みで、第52回公演は11月18日(金)です。 とても楽しいひとときで、朗読教室の仲間と一緒に、私も他に予定がない限り、息子や娘と出かけていきます。 その『浦和むかしむかし』で一番初めにしたという『わらしべ長者』も語ってくださいました。 笑ったり泣いたりの充実した2時間でした。