友だち

仙台から、親友のM子さんが泊りがけで遊びに来ました。 彼女は同じ高校の1年後輩ですが、それは後から分かったことで、知り合ったのは病院です。
長男が2歳10ヶ月の時、2人目の子どもを授かりました。 長男の時と同じく、普通に生まれると思っていたのですが、胎児の心音が急に悪くなって、急遽帝王切開になり・・・ ICU(集中治療室)で麻酔から覚めた時、私は片腕に点滴、もう一方には輸血で、ベッドに縛られていました。
子どもは仮死で生まれ、手術の時に私のまわりを取り囲んだ10人の医者の1人、麻酔科の教授が蘇生させたとのことでした。 母は、長男を連れて私に付き添っていましたが、廊下で待っていると、急に「赤ちゃんはあきらめてください。お母さん(私)も危ないので、ご家族を呼んでください」と言われ、頭が真っ白になって、1つも電話番号を思い出せなかったそうです。 慌てて家に帰って長男を隣に預け、あちこち電話したと。 実家から大学病院まで、歩いて8分ですが、母はその日、タクシーで7往復したと言っていました。 もう二度とあんな思いをしたくないと。 ほんとに申し訳なかったと思います。
赤ちゃんは男の子でした。 私は2週間後に退院しましたが、1ヶ月後に子どもが小児科に移ってからは、ずっと、長男を母に預けて、病院に泊り込んで付き添っていました。 病名は心室中隔欠損。 その他にもいろいろあって、輸血も何度かしたけれど、7ヶ月半後、病院から1歩も出ることなく、ほとんど笑うこともなく逝ってしまいました。 今 思い返してみて、あの、医者の一言や検査の結果に一喜一憂した7ヶ月半は、何か遠い遠い夢の中のような気がします。 この間、夫はほとんど毎週末、東京から秋田へ通ってきていました。
M子さんは、同じ病室だったのです。 彼女は予定日のかなり前から入院していて、私は自分が退院した後も、前の病室へ毎日遊びに行っていたので、すっかり親しくなりました。 M子さんに初めての女の赤ちゃんが生まれたとき、病室で最初にオムツを換えたのは私でした。
あれから、彼女は男の子にも恵まれ、私も長女と三男を授かり・・・お互いの子どもたちを連れて、何度 泊りがけで行き来したでしょう。 ずっと後になって、彼女が言ってくれました。「入院していた時は、本当に辛かった。 でも、それで あなたに出会えたんだから、それだけで良かったんだって思う」
私も、全く同じ思いです。