みんなの地球

1993年1月17日、1年以上かけて準備してきた市民による音楽劇『みんなの地球』が幕を閉じました。 浦和の自然、生命の大切さをテーマに創作劇をやると聞いて、一も二もなく飛び込んだのが、前の年の5月。 ごはんを食べている最中でも突如歌いだすほど歌の好きな息子(当時小3年)も引き込みました。 どうせやるなら徹底的にと、事務局にも名を連ねたので、夜遅くなることも時々ありましたが、家族の協力を得て、打ち込むことができました。
脚本と演出は、プロの俳優であり声優のT先生。 素人の私たちに基礎から丁寧に教えてくれ、練習もとても楽しかったです。
私の役は、生徒たちと鮭の卵を育てて荒川へ放流する先生の役で、息子は、ダムに沈む村の小学校の生徒と交流する浦和の小学校の生徒の1人。 じゃんけんで負けて残念ながら1人で言う台詞はなかったけれど、歌が沢山あってとても楽しんでいました。 親子で出演した人も多く、子どもの送り迎えだけのはずが、楽しそうだからと参加してしまったお母さん、引きずり込まれたお父さん、チラシを見て参加した人など、出演者は150人にのぼり、スタッフも合わせると200人! 文化センター大ホールで2回公演、2千2百人もの人が観に来てくれました。
劇が終わった後しばらく燃え尽きていましたが、同じ思いの人たちが、このままで終わらせたくないと立ち上げたのが「みんなの地球の会」です。
あれから12年… 『見沼田圃篇』の学習で見沼を歩いたこと。 第3回公演『八月十五日篇』の準備で何人もの人の戦争体験を聞いたこと。 荒川の上流から下流までを探検して出来た『あらかわ』を観た娘が、自分もやりたいと入会しました。 私たちの会の最初に危機は、第5回『わがまち浦和』の公演の後に、ずっと脚本・演出・指導をしてくれていたT先生が入院してしまい、教えてもらえなくなったことです。
仲間の中学校教諭のSさんが脚本・演出を手がけることになり、2000年6月に素人だけの劇・第6回公演を上演することになりましたが、その本番の2週間前に、会を立ち上げた KYさんが自転車で倒れて脳内出血で入院、生死の境をさまよいました。 私たちはKYさんの意識が戻るのを祈りながら代役を立てて上演。 翌年、やはり素人だけで、16曲のオリジナル曲を歌った『じしん』を上演し、後遺症をかかえながらも職場復帰したKYさんも、避難所の場面で飛び入りで出演しました。 そして2002年4月に… 第8回公演の『タイムカプセル』の2ヶ月前に、初演から作曲を担当し、60曲もの歌を作曲してくれたHY先生が癌で急逝…
楽しい経験、得がたい感動も多かったですが、言葉に尽くせぬ大きな悲しみも多く経験しました。 涙・涙の追悼コンサート… もう会も終わりかと思いましたが、追悼コンサートに来てくれた、HY先生と音大で同じ作曲ゼミにいたN先生が作曲担当で入会してくださり『見沼田圃のおくりもの』を上演しました。 病がだいぶ回復した演出のT先生が一時的に戻って来て、宮沢賢治の童話を礎に書いた『神の創りし子ら』の公演が去年の5月。
そして今年6月25日には、第11回『いのちのステップ』を上演します。 3度の脳の手術、3ヶ月の入院、今もリハビリを続けながら小学校教諭に復帰したKYさんの体験を柱に脚本を書いています。 第6回目から4作の脚本を書いたSさんが、もう書かないと言うので、何と私が初めて脚本を書いているのです。 11月中旬に第一稿を上げてから、みんなで話し合って5、6回書き直しました。 KYさんの要望も多くて大変。 今、最終台本を仕上げているところです。
今日は練習の日でしたが、色々あって劇の練習ができず、話し合いだけで終わってしまいました。 公演までちょうど4ヶ月。 初めてのことばかりで不安もありますが、何とか公演を成功させたいと切望しています。